ストレス社会といわれる現代、仕事でストレスを抱えて体調を崩す人が後を絶ちません。そのような状況を改善しようと、多くの企業が「健康経営」を企業ビジョンに掲げ、重要課題として取り組んでいます。
今回は、その取り組みのひとつである「メンタルヘルス対策」について詳しく解説します。企業が取り組むべき対策方法やメンタルヘルスケア、不調に気づくためのポイントなどもご紹介していますので、ぜひお役立てください。
メンタルヘルスとは「心の状態」「精神衛生」という意味です。心の健康状態を表します。
意欲低下やイライラ、不安、緊張など、日常生活で生じる心の不調を「メンタルヘルス不調」といいます。うつ病や統合失調など、精神病による不健康な精神状態を「メンタルヘルス不全」といいます。
メンタルヘルス不調・不全になる原因はさまざまですが、主に以下のような出来事がメンタルヘルス不調になる原因として考えられます。
特に「パワーハラスメント」「仕事量や仕事内容の変化」「暴行またはいじめ・いやがらせ」などは、厚生労働省が行った2023年度の調査でも多く挙げられています。
企業は、このようなメンタルヘルス不調の原因となる問題を解決し、従業員の心の健康を守ることが求められます。
引用:「精神障害に関する事案の労災補償状況」厚生労働省
同調査によると、2023年度の精神障害の労災補償請求件数は2683件。2019年度から約800件増えています。
近年は、以前と比べてメンタルヘルスに関する知識が広まっており、その影響で労災補償請求件数が増えているとも考えられます。とはいえ、メンタルヘルス不調者が多いことには変わりありません。
また、自身の不調に気づいていない人や周囲に伝えられていない人もいると推測すると、労災補償請求件数よりも遥かに多く、不調を抱えている人がいるといえるでしょう。
従業員のメンタルヘルス不調の対策をせず、放置してしまった場合、どのようなことが起こるのでしょうか。考えられる5つのリスクについて見ていきましょう。
メンタルヘルス不調・不全になった従業員が、回復のために休職すると、企業の労働力が減少します。その結果、生産性および利益が低下してしまいます。
社員のメンタルヘルス不調が、企業の生産性低下につながることは、ジェームズ・J・コリンズ氏によって発表された記事にて証明されています。
当書によると、従業員の9.2%がメンタルヘルス不調を抱えている、とある企業を調査したところ、調査期間4週間のうち3.7時間の欠勤時間が発生したとのこと。つまり、3.7時間分の労働力を失うこととなったのです。
また同調査にて、メンタルヘルス不調者が休職せずに働き続けた場合、36.4%の能力低下があることがわかっています。
メンタルヘルス不調になると、集中できなかったり、行動が消極的になったりと、仕事のパフォーマンスが落ちます。ミスが増えることもあります。
結果的に企業の損失にもつながるため、対策が必要なのです。
メンタルヘルス不調・不全の多くは、職場環境が原因です。企業がそれを改善せず放置した場合、離職者が増える可能性があります。
離職者が増えれば増えるほど、採用コストがかさみます。採用しても職場環境が悪ければ、なかなか定着しないものです。その結果、人手不足となり、労働環境がさらに悪化します。
このような負の循環に陥る恐れがあるため、メンタルヘルス対策が欠かせないのです。
厚生労働省発行の資料「精神障害に関する事案の労災補償状況」にもあったとおり、ハラスメント、いじめ・嫌がらせなどは、メンタルヘルス不調のきっかけになります。このことから、メンタルヘルス不調を抱えている社員がいる職場では、労働問題が発生していると考えられます。
そのような状態を放置すると、さらに深刻なトラブルが起きる恐れがあります。また、現時点で目立った問題がなくとも、対策しなければ、いつか労働問題が発生する可能性があります。
よって、現状問題がある・なしに関わらず、メンタルヘルス対策を行うべきといえるのです。
企業の情報開示が重視される現代。内部の情報が一般公開されることも珍しくなく、大きなトラブルがあった際には、大々的に企業名が公表されることもあります。
メンタルヘルス対策を怠った結果、労働問題が発生すると、世間からマイナスイメージを持たれてしまいます。「従業員の健康管理を疎かにする企業」「従業員を大切にしない企業」という印象がついたり、ブラック企業というレッテルが張られたりする可能性があるのです。
そのようなイメージがつくと入社希望者が減少し、採用コストの増加や人手不足といったさまざまな問題が生じることになります。
人材への投資、サステナビリティ経営といった言葉が飛び交う今、メンタルヘルス対策の実施状況は投資家やステークホルダーの評価にも影響を及ぼします。従業員の健康面に配慮している企業、つまりメンタルヘルス対策を行っている企業は信用されやすく、行っていない企業は信用されにくい傾向にあります。
そのうえ労働問題が発生した場合、企業は厳しい状況に置かれます。顧客が減る、取引先から契約解除を要求される、資金調達が難しくなるなど、経営を続けていくことさえ困難になる恐れがあります。
従業員とのかかわり方が社会に大きな影響を及ぼす現代だからこそ、メンタルヘルス対策は、企業が重視すべき取り組みだといえるのです。
メンタルヘルス対策の必要性を理解したところで、具体的な取り組みについて見ていきましょう。主な対策方法には以下の5つが挙げられます。
メンタルヘルス対策を実施するには、まず会社の状況を把握する必要があります。どのような取り組みを行うべきか見極めるためです。
そこで行われるのが「ストレスチェック」です。従業員数50人以上の事業所においては、ストレスチェックの実施が義務づけられています。「ストレスチェック制度」と呼ばれる制度です。
<第六十六条の十>事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師、保健師その他の厚生労働省令で定める者(以下この条において「医師等」という。)による心理的な負担の程度を把握するための検査を行わなければならない。
引用:「ストレスチェック制度に関する法令」厚生労働省
当制度では従業員のストレス調査のほか、医師による面接指導や企業がとるべき措置に関するさまざまなルールが設けられています。例えば、以下のような内容です。
このようなルールに従ってストレスチェックおよび対策を行うことで、メンタルヘルス不調の防止を図ります。
なお、従業員数50以下の事業所には、ストレスチェック制度の実施および報告の義務はありませんが、実施する場合は定められた法令・指針に従う必要があります。
従業員のメンタルヘルス不調が発見された場合、その原因を探る必要があります。職場環境に問題があるのか、労働時間や職場の人間関係に起因しているのか、はたまた本人の家庭環境によるものなのかなどを探ることで、企業がとるべき行動が定まります。
原因追求は、従業員のストレスの大きさに関係なく必要です。むしろ、軽症のうちに状況を把握し、メンタルヘルス対策を講じることで、重症者が出るのを防ぐことができます。
今後のために防止対策を講じることも大切ですが、現在の不調者へのケアも必要不可欠です。のちに詳しく解説しますが、企業が行うべきメンタルヘルスケアとして、以下の4つの方法が挙げられます。
企業には、さまざまなメンタルヘルス不調を抱えている人がおり、適切な対処法は1人1人違います。そのため、多角度からのケアが必要なのです。
そして、企業はそれらのケアを実施できるよう、体制を整えることが求められます。
メンタルヘルス不調・不全になった従業員は、転職するケースもありますが、なかには元の会社に戻りたいと考える人もいます。企業としても、せっかく育てた社員を失うのは痛手なので、可能な限り復帰してほしいところです。
そこで必要となるのが、職場復帰のサポートです。佐藤隆氏の著書『職場のメンタルヘルス実践ガイド』をもとに、職場復帰を行う際のポイントをご紹介します。
「佐藤隆(2011、電子版:2016)『職場のメンタルヘルス実践ガイド』ダイヤモンド社」
をもとに弊社で図を作成
職場復帰サポートでは「病気を繰り返さないよう対策すること」「復帰者を受け入れる体制を整えること」が重要です。これらを徹底しなければ、復帰者が再びメンタルヘルス不調に陥る可能性があります。特に休職中と復帰直後はデリケートな時期なので、人事部や専門家など、周囲と協力して体制を整えることが大切です。
専門家によるメンタルヘルスケアがあるからといって、油断はできません。社員同士のちょっとしたコミュニケーションエラーの積み重ね、上司のマネジメント方法、教育方法……と、メンタルヘルス不調の引き金となる要因は、日常に潜んでいます。
不調者を出さないためには、社員のメンタルヘルスに対する意識を向上させる必要があります。また、知識の習得のための研修も欠かせません。
引用:「HR総研:人材育成(テーマ別研修)に関する調査 結果報告」HR総研
HR総研が2021年に調査を行ったところ、メンタルヘルス研修の実施率は36%でした。多くの企業が、メンタルヘルスに関する教育を行っていることがわかります。
社員に知識がなければ、自分の問題行動に気づけません。メンタルヘルス不調になっても「気のせいだ」と我慢し、悪化させてしまう恐れもあります。
社員の心の健康を守り、そして早期発見・ケアを実現するには、知識を得る機会をつくることが重要なのです。
メンタルヘルス不調の防止には、継続的・計画的なメンタルヘルスケアが必要です。メンタルヘルスケアは大きく4種類に分類されます。それぞれ詳しく見ていきましょう。
セルフケアとは、周りの手を借りず自身でメンタルヘルスケアを行うこと。近年は、書籍やセミナーなど、さまざまなところでセルフケアの方法について紹介されています。
それらについて学ぶ機会を従業員に与えることが、企業の役割です。例えば、研修の実施や、セミナーの参加費用を負担するといった取り組みが挙げられるでしょう。
セルフケアについて教育する際は、周囲に相談することの重要性も教えることが大切。社員が不調を1人で抱え込んでしまうリスクを避けるためです。
また、「周りにメンタル不調者がいるが、どうすれば良いかわからない」と悩む人も少なくありません。そのため、第三者としての対応方法についても教育しておくと良いでしょう。
管理監督者とは、経営者と同等の地位・権限を持つ従業員のこと。企業全体の管理・監督を行う者として、メンタルヘルスケアの指揮を執ります。これを「ラインケア」といいます。
管理監督者が行うラインケアには、例として以下の内容が含まれます。
なお、管理職者が行うメンタルヘルスケアも、ラインケアとして認める場合があります。管理職者は、主にメンタルヘルス不調の発見、ケア、相談対応、産業医への取次ぎなどを行います。
管理監督者や管理職者は、社員のメンタルヘルスを守る重要な役割を担っています。そして、社員の異変にいち早く気づき、適切に対応することが求められています。
しかし、専門的な知識を持っていない場合も多いです。メンタルヘルスについて学び、知識を高めておくことは大切ですが、専門家からの指導を受けながら業務を行う必要があるでしょう。
産業保健スタッフとは、産業医や衛生管理者、メンタルヘルス推進担当者など、産業保健にかかわるスタッフの総称です。産業保健スタッフは、例として以下のようなメンタルヘルスケアを行います。
産業医など、医学に関する専門的な知識を持つスタッフは、専門的な立場から企業に助言・指導する役割を担っています。産業医が不在の事業所でも「事業場内メンタルヘルス推進担当者」を選出し、専門家からの助言・指導を受けながらメンタルヘルス対策に取りくむよう推奨されています。
メンタルヘルスに関する専門知識を持つ者が常に企業にいる状態、もしくは知識と指導を常に得られる状態をつくることにより、継続的かつ計画的なメンタルヘルス対策の実行が可能になるのです。
企業の規模によっては、産業医などの専門家を社内に置くことが難しい場合もあります。
その際は、外部の機関・事業所の力を借りる方法が有効です。自社のメンタルヘルス対策が適切かどうか、第三者の客観的な意見を得られるというメリットもあります。
外部の機関・事業所によるメンタルヘルスケアには、例として以下のような内容が含まれます。
日本では、地域産業保健センターや産業保健総合支援センターなどが事業場外資源として一般的です。しかし最近は、米国企業の多くが導入している「EAP」も注目されつつあります。
EAPとは、カウンセリングやメンタルヘルス研修の実施などを行う、従業員支援プログラムです。社員の相談相手として幅広くサポートしてくれますが、薬物投与など治療を判断する権利は持ちません。
このように、事業場外資源のサポート範囲には限りがあることも多いです。そのため、社内と社外で各担当者・機関の役割と、互いの関わり方を明確にしておくことが大切です。
企業のメンタルヘルスにおいて、管理職者の行動は重要な鍵となります。では、具体的にどのようなことを意識すべきなのでしょうか。主な5つのポイントについて解説していきます。
従業員に不調かどうか質問しても、ストレートに応えてくれるとは限りません。本人が自覚していないパターンもあります。
そのため、まずは不調のサインがないか観察することが大切です。観察のポイントとしては以下のような項目があります。
「佐藤隆(2011、電子版:2016)『職場のメンタルヘルス実践ガイド』ダイヤモンド社」をもとに弊社で図を作成
不調のサインに気づくことができれば、原因を考え、対策を講じることができます。業務量や業務の内容、人間関係、職場風土など、問題点を早く突き止め、メンタルヘルス不調の未然防止につなげましょう。
メンタルヘルス不調に早く気づくためには、「見る」だけでなく「話す」ことも大切です。そして、面と向かって会話することが重要であると、『職場のメンタルヘルス実践ガイド』の著者、佐藤隆氏は述べています。
メンタルヘルスの問題予防の技法の基本は「フェース・トゥ・フェース」のコミュニケーションです。予見を交えず、まず平成に本人と直接会って聴くことです。
引用:「佐藤隆(2011、電子版:2016)『職場のメンタルヘルス実践ガイド』ダイヤモンド社」
不調の兆候がある社員について詳しく知りたいとき、周囲に聴くこともあるでしょう。しかし、その方法だとよからぬ憶測を呼ぶ可能性がありますし、本人も良い気がしません。そのため、直接聴くことが大切なのです。
最近は、リモートワークの導入が増え、直接話す機会が減っています。会わないうちに従業員がメンタルヘルス不調に……というようなことのないよう、コミュニケーションを取る機会を意識的に設ける必要があるでしょう。
社員のメンタルヘルス不調の原因を探る際は、「環境」「やり方」「プライベート」の順に聴きます。
はじめに聴くのは「環境」についてです。労働時間や人間関係など、職場環境が原因であれば、管理職者はそれらを改善することが求められます。
次に聴くのは「やり方」です。上司の指示の仕方に問題がないか、仕事の割り振り方に問題がないか探り、対策・改善を行います。
最後に「プライベート」について聴きます。職場環境にも、仕事のやり方にも問題がなかった場合、本人のプライベートで問題が発生している可能性があるからです。ただし、プライバシーにかかわることなので、答えを強要したり、勝手な憶測で決めつけたりしないよう注意する必要があります。
また、声をかけるタイミングも重要です。プライバシーが守られた空間で1対1で話したい人、休憩中に軽く声をかけられる方が話しやすい人、といろいろなので本人に合わせましょう。いずれにせよ、忙しいときではなく、落ち着いた環境で声をかけるのがポイントです。
メンタルヘルス不調者のなかには、専門家によるケアが必要な人もいます。しかし、段階を踏まないと逆効果になる恐れがあります。
例えば、不調の兆候が見られるからといって、いきなり心療内科の受診を勧めれば、反発される可能性が高いです。もしくは「自分は、この場に不必要だと思われているのではないか」と、不安や恐怖を抱いてしまう可能性もあります。
よって、順を追って進めることが大切なのです。観察と声掛けから始めて、次に産業医やカウンセラーの紹介、最後に受診を提案すると良いでしょう。
「管理職者(上司)が原因でメンタルヘルス不調になった」と言われるケースも少なくありません。また、従業員にストレスを与えないようにと気を回しすぎて、管理職者自身が精神障害に陥ることもあります。
そのような事態を回避するためには、管理職者の教育が必要です。メンタルヘルスやハラスメントはもちろん、マネジメント、コミュニケーションに関する研修も実施すると良いでしょう。
店舗型ビジネスを展開する企業や多忙な職場では、オンライン研修やeラーニングの活用が有効です。ディスカッションができないなどのデメリットはあるものの、場所や時間に関係なく知識を習得できます。
なお、動画研修やeラーニングのコンテンツを作成する際は、医師や専門家の指導を仰ぐようにしましょう。
メンタルヘルス対策を行っている企業は、具体的にどのような取り組みを行っているのでしょうか。ここで2つの事例をご紹介します。
株式会社ニトリホールディングスでは「健康経営推進委員会」を設置し、組織と従業員のヘルスリテラシー向上に取り組んでいます。
具体的には、以下のような取り組みを行っています。
デジタルコンテンツを活用した教育では、オリジナル動画コンテンツの作成や、確認テストの導入なども行っています。デジタル技術をうまく使って、社員のメンタルヘルス教育を実現している事例です。
■参考:「健康と安全」の取り組み事例(株式会社ニトリホールディングス)
アパレルブランド「ユニクロ」「ジーユー」などを展開する株式会社ファーストリテイリングでは、メンタルヘルス対策として、年に1回、全社員を対象にストレスチェックを行っています。
調査でストレス値が高かった社員には、産業医との面談の機会を提供。本人が面談を望まない場合はカウンセリングを勧めるなど、従業員本人の意思を尊重したケアを行っているようです。
また、人事部と協力してメンタルヘルス教育も行っています。当社でもeラーニングを導入しており、デジタルコンテンツの活用は、社員のメンタルヘルス教育に役立つことがわかります。
■参考:FR Sustainability|働きやすい職場(株式会社ファーストリテイリング)
メンタルヘルス対策は、一度実施すれば終わりというものではありません。全社員がストレスなく働ける環境をつくるのは簡単ではなく、時間もかかります。
そのため、可能な限り早く取り組みをスタートすることが大切です。社員教育や状況把握など、まずはできることから始めてみましょう。hut