日本の労働市場では将来的に人手不足が社会問題化しており、人材の流動化も高まる中で、人材獲得競争がさらに激しくなっていくことが予想されます。このため、採用に注力するだけではなく、今働いている人材の流出を防ぐことも重要視されています。人材流出防止のための施策のひとつとして「リテンション」が注目されています。
人事領域におけるリテンションとは、どういった意味を持つのでしょうか。人事を担当されている方なら、リテンションという用語自体は聞いたことがあるという方もいるでしょう。しかし、実は具体的な内容までは知らないという方も多いようです。
今回は、人事領域のリテンションとは何か、リテンションが重要視される理由、リテンションを高めるメリット、また、どのような施策があるか、などを解説します。さらに施策の成功事例をご紹介します。
リテンションとは、英語で「Retention」と表し、維持・保持を意味しています。ビジネスにおいては主に2つの領域でリテンションという言葉が使われています。
1つは人事領域における、人的資源管理の領域です。この場合のリテンションとは、従業員の維持・確保を指しており、長期的に組織に定着することを表します。
もう1つはマーケティング領域です。リテンションマーケティングには大きく2種類の手法があります。1つは「新規顧客獲得」であり、もう一つは「既存顧客との関係構築」です。マーケティング領域のリテンションとは顧客維持、つまり顧客との関係性を構築し、長期的に定着することを表します。
顧客へのリピート促進施策や顧客満足度を高める施策などを実施して優良顧客を維持、育成し、会社の安定的な発展を目指すマーケティング手法です。
人事領域におけるリテンションは、「必要な人材を維持・確保すること」といった意味合いで使われています。人事領域におけるリテンションは自社にとって必要な人材の流出を防止するための施策を指します。例えば、離職防止に向けた取り組みとして、働きやすい環境作りや人事制度の整備、スキルアップのための研修制度の充実などがあります。
日本は少子高齢化による労働人口の減少が想定されていることや人材の流動化が高まっていることの影響をうけて、企業にとって人材の維持・確保は深刻な問題となっています。このため、いかに必要な人材を確保し人材の流出を防止していくかを考え、早急に施策を打つ必要があるといえます。
また、離職によって人材が流出すると、人材を補うための採用や育成コストがかかります。さらに自社のノウハウやネットワークの流出にもつながります。このため、リテンションを進めることで自社の従業員から選ばれる企業となることが重要です。
企業にとって人材の維持・確保が重要となっている理由、リテンションが注目されている背景とはどのようなものなのでしょうか。ここでは人材のリテンションが重要視される背景を4つ紹介します。
1つ目は、少子高齢化による人口減少によって労働人口が少なくなったことで人材が不足し、人材獲得競争が激しくなっていることが挙げられます。今働いている従業員の離職をいかに防止するかという点が、いっそう重要性を増してきました。
これから先、団塊ジュニア世代の離職が見込まれていることも働き手の不足に拍車をかけています。団塊ジュニア世代とは、日本で、第二次ベビーブーム時の1971年〜74年に生まれた世代を指していて、人口の多い層です。団塊ジュニアの世代が2024年に50代半ばに差し掛かることで、今後定年退職者の増加が危ぶまれています。
層の厚い団塊ジュニア世代が退職することの対策として、この世代から受け継がれた知識やノウハウを在職中の従業員や新入社員に定着させる必要があります。
リテンションが重要視されている理由として、転職市場が活性化していることもひとつと考えられます。従来の終身雇用制が崩壊し、転職自体が珍しくなくなっている、転職に抵抗がなくなっていることや転職活動をサポートするさまざまなサービスも増えており、人材の流動化が高まっています。
転職市場が活発化している背景から、若手人材や需要のある経験と知識を持つ人材を中心に離職者は増えています。
総務省統計局の「労働力調査(詳細集計)2023 年(令和5年)平均結果の要約」によると、日本では2013年以降、転職者が年々増加傾向にあります。2019年には過去最多の353万人を記録しました。その後コロナ禍の影響を受けて転職者は減少していましたが、2022年から増加傾向にあり、2023年には328万人まで増えていることが分かります。
人材流出が頻繁に発生すれば、組織が弱体化し、業務が滞ってしまう恐れがあります。そのため、リテンション施策の実施は組織にとって必須といえます。
企業が人材を採用する際には、「採用に関わる事務的コスト」や「人材エージェント会社などへの手数料」などの様々な採用コストがかかります。従業員の離職と人材の新規受け入れが頻繁に発生すればするほど、採用活動や従業員の育成にかかる人事コストが高くなってしまいます。
厚生労働省の令和4年「雇用動向調査結果の概況」によれば、転職理由として多いのは「契約期間の満了」を除くと「人間関係が良くない」や「労働時間などの労働条件が悪い」となっています。
自社における離職理由に対して改善できる点があるのなら、リテンションを強化して課題にアプローチする必要があります。
実際、転職者が増加傾向になってからの企業の人事コストは、増加傾向にあると報告されています。人材定着はコスト減少に直結するのです。このためリテンションの効果的な施策を打つことで従業員に自社を選んでもらうようにする必要があります。
従業員の退職が発生した場合、単なる人材流出だけではなく企業の技術やノウハウなどが流出する可能性もあります。情報流出リスクは、企業が退職する従業員と秘密保持誓約書を締結することで、ある程度低減できますが、やはり従業員の定着を図るために有効なリテンション施策を打ち出す必要があります。
リテンションの施策を通して従業員の定着を図り、従業員が持っている技術やノウハウの共有を社内で進める必要があります。
企業にとって、リテンションを高める施策に取り組むメリットはどのようなものなのでしょうか。ここでは4つのメリットについて説明します。
若手人材を中心に、早期退職の問題は常態化しています。採用・育成のコストをかけたにもかかわらず、十分に活躍しないうちに退職してしまう状況は、組織にとって大きな損失です。欠員補充の採用にも大きなコストがかかるでしょう。リテンション施策を推進して従業員の退職を防ぐことができれば、育成した従業員の長期的な活躍が期待できます。そして人材を補完する必要が無いため、採用コストの削減につながります。
最近では、求職者が就活や転職活動で企業を選ぶ際に、従業員の離職率をチェック項目のひとつとする人が増えています。離職率の低さは働きやすさを想像させ、企業アピールのひとつとなり、人材採用に有利に働きます。
リテンション施策を推進することで、従業員のエンゲージメント向上やモチベーションアップにつなげることができます。
従業員に対して必要な報酬や労働環境、機会が提供されるリテンション施策の実施は、従業員にとって魅力的なものです。このため従業員の満足度は向上し、今の会社に所属することにメリットを見出します。このため「この会社に勤め続けて自分の力を発揮したい」と帰属意識が生まれるようになり、より高いパフォーマンスを目指す従業員が増えていくと考えられます。このことから従業員の生産性が高まることが期待できます。
リテンション施策の効果が現れることによって、離職者が減ることで、従業員のモチベーションが低下することを防ぐことにもつながります。従業員の退職が頻繁に起きていると、自分は不満の多い組織にいるのだと思い、やる気が下がってしまいます。リテンション施策によって、今いる従業員のモチベーションを維持し、向上させていくことが可能となり、従業員には良い影響をもたらすでしょう。
また、リテンション施策の効果によって知識や技術をもったシニア人材がモチベーションを高く維持するようであれば、次世代を担う若手従業員の育成にも貢献することにもつながっていくでしょう。
リテンション施策を推進することで、優秀な人材を話さずに維持・確保することができるため、経営の安定が期待できます。
一方、退職による人材の入れ替わりが相次ぐ組織は、事業の成長戦略を描くのが困難になり、中長期的な事業計画の見通しが立てにくくなります。場合によっては、計画の見直しをせねばならない状況も起こる可能性があります。
リテンション施策によって従業員の流出を防ぐことができれば、企業は人材不足に陥るリスクを回避することができます。このため事業戦略を計画通りに遂行できるようになり、長期的な戦略を立てやすくなります。このため安定した経営を行う土台を確保することができるでしょう。
また、力のある従業員が退職すると、すぐにその人材の穴を埋めることは難しいものです。このため企業の成長も停滞し、ひいては他社との競争力が低下してしまうことが危ぶまれます。
従業員の定着を促すリテンション施策は、成長力・競争力の向上につながり、経営を安定させることができる施策であるといえるでしょう。
離職による人材の頻繁な入れ替わりがあると、これまで培ってきた知的資産(スキルや技術、ノウハウ、組織力、ステークホルダーとの関係性など)が蓄積されにくくなるといえます。
また、従業員が退職すると、労働力を失うだけではなく、せっかく定着させた知識やノウハウが他社に流出してしまう恐れがあります。
さらに、優秀な人材が退職してしまうと、同等の知識やノウハウの完全な引き継ぎが難しいことから、企業競争力が低下する可能性が生じます。
リテンション施策の推進によって従業員が定着するようになれば、知識やノウハウが流出することを防ぎ、社内に知的資産が蓄積されていきます。また、従業員の退職によって発生する後任に対する育成コストが発生することを防止するメリットがあります。
リテンションマネジメントとは、人材流出を防ぐための人事管理手法を指します。「リテンション(retention)」は維持・確保・引き留めの意味を持ち、「マネジメント(management)」は管理の意味を持ちます。リテンションマネジメントとはこの2つを組み合わせた造語です。
リテンションマネジメントとは、従業員が離職をせずに自社で働き続けてもらうために、労働環境や人事制度を整備するなど、企業として適切に管理していくことを表しています。
企業はリテンションマネジメントの意義やメリットを理解した上で、人事戦略・施策への落とし込みを推進していくことが必要不可欠です。今、あらゆる業界において人材不足・人材採用難が叫ばれるなか、いかにして優秀な人材を確保し続けられるかどうかは、企業にとって最優先すべき人事戦略だといえます。
人材の流出を防ぎ、維持・確保を実現するためのリテンション施策には、金銭的報酬と非金銭的報酬の2つに分類されます。
金銭的報酬とは、従業員に対して提供する金銭的価値の発生する報酬を指します。具体的には給与や賞与、インセンティブの支給、持ち株制度(ストックオプション)などが該当します。
一方で、金銭的価値の発生しない報酬が非金銭的報酬です。具体的には労働環境の整備やワークライフバランスの充実支援、多様なキャリアプランの設計などが該当します。
給与を上げるなど、金銭的報酬は人材を確保する上で重要な指標だといえます。しかし近年では、金銭面での報酬を充実させていれば良いだろうと短絡的なリテンション施策を打つだけでは、人材を確保しきれない傾向にあります。金銭的報酬と非金銭的報酬をバランスよく取り入れることが重要です。
リテンション施策のうちのひとつである「金銭的報酬」とは、組織が従業員に与える金銭的な対価です。具体的には能力や成果に応じた給与やボーナス、福利厚生や手当などが該当します。
公平な評価に基づいた報酬は、従業員のリテンションに効果があります。自社の経営方針に沿った評価設計と、それが従業員にとって公正で明確、透明性のあるものでなければなりません。 また、同一労働同一賃金の導入により正規雇用と非正規雇用の格差を是正することは、非正規雇用の従業員のリテンションにも効果があります。
福利厚生には、雇用保険や住宅手当、スポーツジムやレジャー施設、美術館、宿泊施設の利用割引などさまざまなものがあります。従業員の働きやすい環境を整えたうえで、プラスアルファとなるメリットを加えることで、従業員の満足度が高まることに寄与します。
ワークライフバランスが取りやすい制度は、従業員の仕事と生活を充実させ、人生そのものを充実させる助けになります。例えば、育児や介護、あるいは病気の治療などと仕事の両立ができるように、テレワークやフレックスタイム制度といった柔軟な働き方を導入することで、これまでであれば働き続けることができなかった従業員が、働き続ける選択肢を持つことができます。
ワークライフバランスへの取り組みとして、労働時間の見直し、多様な働き方の設計などがあります。
仕事と生活のバランスを取るためには労働時間が適切である必要があります。労働基準法が2019年に改正され、さまざま業種において労働時間の見直しが行われております。残業時間の把握や残業を抑制するためのしくみ作りがいっそう重要になっています。
育児や介護に対する休暇制度やフレックスタイム制の導入、またはリモートワークの導入によって仕事と生活を両立できるような支援を行う必要があります。
また、有休休暇の取得や時間外労働の削減に対して会社が積極的に働きかけることで、休みが取りやすい、あるいは定時で帰りやすい風土を作っていくこともリテンション施策の1つの方法です。
リテンション施策のうち、非金銭的な要素の1つとしてスキルアップ、能力開発への支援制度の整備があげられます。
スキルアップの機会があることは、モチベーションの高い従業員にとって魅力的に映り、スキルアップ支援制度を設置している会社に対する信頼につながります。
一方で、能力開発の支援制度を設けていない会社に対しては、従業員は「自社での成長は期待できない」と感じているかもしれません。
リテンション施策としては、個々のキャリアアップ・スキルアップの計画を立て、人事・上司・本人などで共有し、進捗を管理していくことが効果的でしょう。新しい知識や汎用性のあるスキル開発を行うための機会や教育を提供したり、社内公募制や社内FA制度、キャリアカウンセリング制度などを設けることで、従業員が能力を高めてキャリアアップできる環境を整備することが重要です。
従業員の成長機会を創ることは、働きがいを満たす要素となり、能力開発を行うことによって従業員は安心して自社でキャリアやスキルの向上に努力することができ、これが長期定着につながります。
従業員同士のコミュニケーションが活発になりお互いに情報や思いを共有し合うことで、共通の目的を達成するという意識が生まれ、育っていくことが期待できます。風通しの良い雰囲気を作ることで、従業員が居心地の良さを感じられれば、組織への帰属意識が向上し、結果として離職率の低下が期待できるでしょう。
また、上司と部下のコミュニケーションを活発化させることも重要です。1対1でミーティングをする「1on1ミーティング」など対話の機会を定期的に設けることも、リテンション施策の1つです。
半年や1年ごとに行われる人事評価面談だけでは、プライベートを含め、上司が部下のことを深く理解することは困難です。対話の機会を多く設けることで、部下のことを深く知ることができ、良好な関係性の構築に活かせるでしょう。
毎日の挨拶や細かな声がけも有効です。上司から積極的にコミュニケーションを取るほどに、部下は上司に話しかけやすくなり、相談や不明点の質問をしやすくなります。
定期的な対話を重ねることで、部下の悩みや抱えている課題について早い段階で察知しやすくなり、退職のきっかけとなるような課題があれば事前に防ぐことにもつながります。
リテンションを高める施策を実施し、成功した企業事例を3つ紹介します。
サイボウズは、クラウドベースのグループウェアサービスを提供する企業です。高い離職率を改善するため働き方改革を進めており、2005年には28%であった離職率を2013年には4%まで縮小させた実績があります。人材流出を防ぐリテンションマネジメントの成功事例として有名です。
2018年に政府による働き方改革が推奨されましたが、これに先立って、サイボウズは2007年に働き方改革として「選択型人事制度」という制度を導入しました。「働く時間や場所を従業員が自由に選べる」という働き方や副業自由化を実施した結果、大幅な離職率の抑制に成功したと言います。従業員の自立と多様性を重視して働きやすい環境を作ったリテンションマネジメントの成功事例と呼べるでしょう。
コロナ禍を経て、今では多くの企業がリモートワークを取り入れていますが、働く時間についても自由に選べる制度は、育児や介護などに関わる従業員が離職することを防ぐことに効果的な施策です。
■参考:
厚生労働省「100人いれば100通りの働き方 サイボウズのワークスタイル変革」
福岡県の老舗ホテルである西鉄シティホテルでは、サービス向上のため英会話研修をはじめ、社内スキルアップ研修を実施する研修制度を整えました。
レストラン事業に関する研修では、配膳や料理、酒類の知識を学び、これがお客様へのサービスの質の向上に役立っています。また、英会話研修によって、これまで外国人との会話を避けていた従業員が積極的に話しかけるようになり、より高いホスピタリティが実現しています。
はじめは受け身で受講している従業員が、自ら質問するなど主体的な行動に変わってきていること、また仕事に生きる知識を得る機会を与えることで、働きがいのある職場づくりを実践しています。
株式会社エンチョーは静岡県を地盤にホームセンター事業を行っています。2012年入社の従業員の4年以内の離職率が47%と定着率が悪く、働き方改革を進めてきました。
評価管理シートに記入する目標が細かすぎるなど煩雑であり、作成に手間がかかること、また上司が部下の目標に掲げた業務をフォローしきれておらず、目標管理制度そのものがうまく機能していませんでした。
そこで、管理シートを簡素化し、記載する目標を2つに絞ってその達成率だけを評価するように変更したところ、部下・上司ともにわかりやすくなりました。分かりやすい目標に向かって、上司と部下が具体的にコミュニケーションをとるようになり、目標達成までの進捗の確認や必要なアドバイスを行うことができるようになりました。
今回は人事領域におけるリテンションの意味やリテンションを高めるメリットや施策について解説してきました。
日本企業における人材不足や人材の流動性の高まりなどを背景に、多くの企業でリテンションが重視されています。
企業が事業を継続し成長を目指していく上で、優秀な人材の維持は欠かせません。まずは自社にとって必要な人材像を明らかにし、その人材がはたらきやすい環境づくりを行いましょう。
従業員の人生そのものを大切にする施策でリテンションの効果を高め、従業員から選ばれる企業となることを目指しましょう。
自社に必要なリテンション施策は何か検討し、積極的に取り組むことをおすすめします。